一人で温泉地へ行きつつ歴史紀行をしてみるなど 〜塩山温泉編〜

そもそも歴史の何がおもしろいか

不思議なことに今まで一度もブログに書いてなかったんですが、僕が好きな趣味の一つに「歴史」があります。旅行に行くと必ず歴史スポットに行くし、歴史物の小説とかゲームとか、あとマンガももちろん好きです。「歴史人」は戦国モノだけは毎回買ってる気がします。もしかすると奈良出身で昔から歴史的な何かに触れる機会が多かった事も影響しているのかもしれません。

過去のなんやかんやに関してあれこれ思いを馳せて想像すること自体が楽しいのですが、そこに奥深い設定(と言うか「事実」と言うか)があったり、数多くの人の群像ドラマがあったり、あとは数百年数千年と連綿と受け継がれている(物理的には断絶しているところがあったり不確かなところがあるにせよ、形式的には歴史は積み重なっていると思う)ところがまたすごくロマンがあるよなぁ、と思うのですよね。

先日思い立って川越にふらっと行ったら「日本100名城スタンプ」なるものが置いてあって、しばらく旅行先でこれを集めようと思い、今回の旅行もそれをベースにして進めたのでありました。ちなみに今回は甲府〜静岡〜浜松〜岡崎と辿って、武田信玄が京都まで攻め上がっていたら、、と言うルートを今後も順番に辿っていきたいなーと思っております。

甘草屋敷


友達と甲府で合流するために、前乗りして一人で塩山温泉と言う温泉へ。甲府近くでどこか温泉とか行きたかったのと、あとは武田信玄ゆかりの地をもう少し回っておきたかったのでここにしました。塩山と言うのは「えんざん」と読むらしいです。音読みってちょっと珍しいなーと思いつつ駅を降りると目の前に甘草屋敷と言う古いお屋敷が。古くからあるThe日本のお屋敷と言う感じでした。


中はとても広く、端午の節句が近いと言う事で各所から寄贈されたと言う五月人形が所狭しと並んでいました。おひなさまの季節には同じようにたくさんのひな人形が並ぶそうです。建物は2階建てで上は民俗博物館みたいになってました。見学していると管理のお姉様がお茶を出してくださったのでそれをすすりつつ縁側の眺めを見ていると、やっぱ田舎暮らしっていいよなーと改めて思うのでした。

恵林寺


えりんじ。武田信玄のお墓があると聞いたので、甘草屋敷のレンタサイクル(これは便利)を借りて恵林寺まで。片道大体15分くらいかな。初めて電動自転車に乗ったんですが車体が重い…重い反面、漕ぐと軽いと言うそういうやつで。


お寺は結構広い上に庭とかお墓とか見る所が多かったです。あと「うぐいす廊下」とか。踏むときゅっきゅきゅっきゅ音が鳴ってなるほどうぐいす感あるなーーと思ったものの感想共有する相手がいないのでとりあえず動画撮っておきました。。(さみしい)


恵林寺には「武田信玄宝物館」と言うのが併設されていて、武田二十四将の紹介とか、あとは柳沢吉保の展示もセットであります。こういう歴史上の図画を見ていると、昨今のアニメやゲームなんかはどんだけ歴史上の人物は美化されとるんや…と思いますよね。みんな古い絵の上はただの「おっさん」ですから。でもそこに色んな背景を見出して想像も含めて絵や設定にしていき、そして例えば「美形キャラ」でコンセンサスを取るようになっていくというのは、ある意味現代の文化の中での新しい歴史解釈なんだろうなーと思います。(ただのコンテンツ、アイデアの消費と言えばそれまでかもしれないけど、そうは思わない)

ほうとう


実はこれも食べた事なかったのでりあえず駅前の定食屋さんで頂きました。感想はもう、ボリュームの多いうどん鍋って感じですね。〆のうどんを、鍋作ってる最中に入れたらこうなるんじゃないかって言う感じの…。あとは根菜類(じゃがいもとか大根とか、あとかぼちゃ)がいっぱい入ってるのでこれだけで十分に満腹です。

ひとり温泉宿の旅というもの

朝食付きで一泊7000円とかなら、別に高くないと思うのですよね。これで週末にふらっと来て観光して広いお風呂入って帰れるなら、結構充実した生活な気がします。
あとは一人で過ごす時間が苦になるかどうかでしょうか。友達と過ごす時間も大事だと思いますけど、一人で本読んだり勉強したり、何より考え事する時間って言うのは一番大事な時間の一つじゃないのかなと思ってます。史跡を巡ったり自転車に乗りながら過去を振り返りながらこれからのことを考えたり、そしてそれを自分のために記憶して記録していくことが出来れば。色んな場所に行ったり地名を聞くたびに思い出せる事が増えて行くのは、さながらこれもゲームみたいでとても好きなのですよね。

と言うわけで、次回に続きます。

学習まんが少年少女日本の歴史(23冊セット)

学習まんが少年少女日本の歴史(23冊セット)

The last lesson of the 2nd season in GABA ES#034

I wrote almost the same entry on last year and I quote it here.

The last lesson in GABA ES#028


Because today I had my last lesson of GABA, I wrote a letter in English for my best teacher. It took more than 2 hours to write that, and yesterday I drank 4 cups of coffee at Starbucks...


I don't feel scared any more for English, this is the most important thing what I got at GABA. Maybe this English sentence have much mistakes in grammer or expression, but I don't care that... I can say "Done is better than perfect" even for my English study.


2 years ago, I have made a talk script (five sheets of A4 paper...) for my presentation in English. Then I have only read that, I didn't "speak" anything. But now I'm having weekly conference call on my job in English, and it is very meaningful time for English learning. :D , as you know I'm working hard every day...


I think all things what happen to me have all important meanings. Not only to use English in my work, but also other all thing in our life, I believe it will be necessary for growth.


Thanks for all my teachers.
Mantol, just "light gamer"

Actually 3 years ago I couldn't talk anything in a business meeting but at this moment I enjoy talking with non-Japanese friends. My English studying history started at Apr. 2011, then I had the first English meeting in my life.

The 1st year was just a stressful days because I couldn't understand what they are speaking and I cannot tell anything for them. Even now I can readily recall the first tough dinner in US... "Why I'm sitting here...?"

The 2nd year was good turning point for me because I could become to enjoy talking in English. Through playing Gundam in video game arcade with Mr. M, I knew it is really fun to share my interest or feeling with other people even in English.

The 3rd year(this year) was "being expressive" year. I could tell maybe 70% of my interest with too much gesture and expression.

At the end of next season, I'd like to write all of my blog post in English. It doesn't mean I'll never write in Japanese, means I'd like to be I can write correctly all things what I'm thinking. To be honest, I really love to talk with someone but I prefer to think something and share it.


Mantol, expressive Japanese OTAKU

Entries related with English on Mantol-pot!

簡単な言葉に訳してしまうことで英語が上達しなくなる気がした ES#033


God is in the details

Today I strongly realized my English is not so improved than last year because I'm still using only easy word and phrases for talking and writing. (Actually this sentence contains only the words what we learn elementary school. ) My teacher said "You should review at the night and 1 hour review = 30 hour game time, hahaha". I totally agree with him but I know it is really difficult for me because I bought PS Vita last week and I have to finish the game ASAP...

Maybe the biggest hurdle of it is because somehow I can tell my intent even if I use only easy phrases. It means there is no reasons for improving my English more because originally I was studying English for just telling something for non-Japanese. Nowadays I can describe two thirds of what I want to tell and I can understand 80% or more of him/her intent because all they are so kind and speak slowly.

For the next step of "the way to World Wide Business Person", I must switch my mind from "80%" to "as much as possible". It's often said, God is in the details.

細部に宿る神に敬意を表して

上の文章がどこまで伝わるか分かりませんが、最近英語が全く上達してないなと思ったら多分そう言う事だったのではと言う話です。日本語で話したり考えたりする時はびっくりするくらい言葉も表現も選ぶくせに、こと英語で話す時は適当に簡単な言葉に置き換えているのだとしたら、そりゃうまくならないよなって思いました。

過程としてはきっと間違っていない気がするんです。6割か7割くらい伝えるためには、多分言いたい事を知っているフレーズとか言葉に置き換えて、ぱっと言える言葉にしてしまうのがそりゃシンプルでいいと思う。だってちゃんとコミュニケーションにはなるし、相手も言葉が簡単だから多分大意は分かるはず。ただ、細かなニュアンスは絶対に伝わっていない自信がある。例えば「多分、大意は伝わると思うんだよね。」って英語で言おうと思うと、ぱっと考えて言うと "Basically they can understand my intent but..."とかにする気がします。でもこれって「大意」になってない気がするんですよね。言い換えてみて、大体意図は合っているとは思うものの。

日本語ですら操り切れないのに英語でそのレベルに達せるとは到底思えないけど、でも60%を70%, 80%と徐々に上げていく努力無しには、どうやったってこれ以上の相互理解は進まない気がするのです。「大体伝わってるからいいか」だと今のままだから、例えば本当に自分が好きなことだけでも99%理解してもらう表現方法を身に付けると言うのを、当面の目標にしていきたいなと思ったのでした。細かいところにきっと大事なものはあると思いますし。

と、この半年の成長感の無さに反省を込めまして。精進致します。かしこ。

まんとるぽっと英会話シリーズ!

特別でないただの一日


Just a diary but here is English version today!

"My last blog post was read 10,000 times only a day!" I told to my teacher in GABA. He said "Great!" and recommended me to write blog in English even just a little, so I'm writing this blog with not so good English. Here is my today's wonderful schedule! After going to GABA in this morning I came to Yokohama and bought a present for my friend. At Yokohama I had a lunch and write this blog while sitting on a bench in a park near the see. And tonight I will attend a concert (game music only concert... ). After finish all my schedule, I'll make a presentation for a meeting on Monday. How great day is today! But these days I'm always spending a time alone...

But at this moment I realized I needed three times as much as when written in Japanese... so please read in Japanese from here.

ほんとにただの日記です in Japanese

珍しく横浜に来て、お昼何食べようかなと思って探してたら10年くらい前に行ったことのあるラーメン屋を発見したのでつい入ってしまった。駅からちょっと歩いた所にある「吉村家」と言うラーメン屋。10年ほど前、友達と東京まで旅行に来たまだ学生だった頃のこととか、芋づる式に色んなことを思い出してしまってなぜかすごく懐かしい気分になってます。今日の記事のタイトルはその当時みんなでハマってた小説のサブタイトルから。

そしていま上の写真の公園で一人ピクニックしながらPC広げてこれを書いてるわけですが、家からちょっと30分くらい電車乗ればいつもと全然違った場所で新しい気分に浸れるんだから、やっぱり東京は良い場所だよなぁ、と改めて思うんですよね。ビルの真ん中にも行けるし、海のそばにも行けるし、山に囲まれたどこかにも行ける、と言うのは奈良の田舎にいたら出来ないことだし、これはすごいことだ。

こういう週末の自由を満喫してると、なんのために日々汲々として生きてるのかよくわからなくなって来ます。毎日通勤電車に乗って、決められた時間から時間まで人生で二番目に楽しいことのために時間を使うのってすごくもったいない気がして来る。前回のブログにも書いたように(いつも書いてるけど)自分が一番好きなことのために人生の時間を使えていないとしたら、そりゃもう嘘ですよね。毎日好きなことしてちょっと日記書いて、生きてけるだけのちょっとのお金があればそれで満足なのにな。お金貯めてあと数年で実家に引きこもるプランと言うのは、意外と現実感ある気がしてます。

そうそう、今日は夜に「信長の野望」のコンサートがあるから横浜に来たんですよ。完全限定の招待制なのです。平原綾香とか出るみたいなんだけど、ゲームのユーザ層から考えて90%くらいおっさんだろうなと思うとなんか今から笑えてきます。信長シリーズは音楽自体がとても良いので、すごくたのしみ。菅野よう子の曲とかあるかな。

あと、今日は家帰ったらStarcraftをやる予定。でも最近大航海時代Vを始めたけどこれも面白いから迷うところです。以上、ほんとにただの日記をお送りしました。まる。

Starcraft II: Wings of Liberty (輸入版:北米)

Starcraft II: Wings of Liberty (輸入版:北米)

コンテンツが無料で手に入る時代に人がお金を出してしまうもの 〜Comic Walker(コミックウォーカー)と言う革命〜


(※いつだったかお台場で撮った写真)

コンテンツ自体は無料で手に入る

今日KADOKAWAからComic Walker(コミックウォーカー)と言う新しいWebコミックサイトがオープンしました。無料で200タイトルものマンガが読めると言う恐らくウェブコミックとしては過去最大規模のものです。これは本当にすごい。「革命」と言う言葉が使われていますが海外メディア含めて取り上げられている所を見ると確かに圧倒的です。規模と力の入れようが。

最近だと似たものとして先日マンガボックスと言うアプリがDeNAから出ていてこちらも人気のようですね。CMもやってるらしいですし(TV見ないのでわからず…)。この流れでいくと恐らく色んな会社から「無料で」コミックコンテンツが提供されるような時代になっていくんじゃないかと予想されます。どちらのコミックサイト/アプリもビジネスモデルは明らかではないですが、おそらくはフリーミアム(基本無料で一部有料)な形になっていくのでしょうね。

これっていわゆるケータイゲームの世界と構造が同じじゃないでしょうか。基本プレイ無料でガチャとか連続プレイに課金すると言う。ゲーム業界もコミック業界も、既存メディアでのユーザ人口が減って来たところに歯止めをかけるための一つの方法として新しい形を模索している、と言うことなのだと思います。

そして有料になるのはいつも「時間」

マンガボックス、最初の頃はリリースされた全てのコミックが「いつでも全部読める」状態だったのが最近になって過去のものが消え始めました。他のコミックサイトも同じく「いつも見ているなら最新のコンテンツは無料で読めるよ!」と言う状態であるものの、徐々に古いものは見えなくなっていって、過去に遡りたければ「電子書籍買ってね!」と言うビジネスモデルです。いつもリンクしますがこの記事のような話。

あえて対比するならどちらも時間にお金を出しているものの、ゲームの場合は未来を買って、コミックの場合は過去を買っているような感じかもしれません。

ソーシャルゲームの場合にお金で買っているのは「未来の時間」であり、時間を早めるような効果がある。「何時間待たなくてもいい、やりたい時にすぐ出来る」ことが価値になっているから。それに対してコミックの場合、過去のストーリーを電子書籍で買うと言う行為は「あの時の時間に戻る(読み放題だった1ヶ月前に戻る)」ためにお金を出している感じで、それは「過去の時間」を買っているとでも言えるのかもしれません。

だとすると、ビジネスとしては未来への投資の方がえげつないですね。なぜなら未来は「無限」なので。その無限性こそが重課金ユーザが生まれる理由でしょう。他者との競争心と煽られまくった射幸心の分だけ、そのエネルギーを無限に投資出来る「余地」がある。そこがモデルとしてすごくよく出来ている。逆にそれに対して過去の場合は限界があって。例えばコミックの場合だとサイトに掲載されている分の全てのコミックを買ってしまえばそれで終了ですし、そもそも前提として自分が過去に読んで「おもしろかった」と思って「また読みたい」と思えることが前提ですから、そこはゲームと比べて健全と言うかなんと言うか。(そもそもゲームとコミックのモデルを直接対比するのに無理はありますけど。)

富の再配分としてのフリーミアム

お金があっても無くても、際限無く使ってしまう人がいるのはいつの世も変わらないと思います。が、こういう基本無料で一部の人だけ有料と言うモデルはある意味「富の再配分」なのかもしれない。

  • 普通の多くの人は無料で楽しむ
  • でも一部のお金持ちは高度な楽しみ方をする
  • そしてそこから得たお金でプラットフォームは回る

と言う。ビジネスなのでプラットフォーム側は儲かるようになっていかないと継続性は無いですが、プラットフォームもより儲かるように(維持出来るように)普通の人もお金持ちも楽しみ続けられるものを提供し続けるプロセスが回る、、これは至極真っ当な関係性だと思います。

ゲームはガチャや「時間制限ライフ」の仕組みによりビジネスを成立させることが出来ました。ではコミックの場合はどうなんだろう。やはりモチベーションを考えても「過去に対する投資」の力はソーシャルゲームのそれに比べて弱い。ソーシャルゲームで「くそおおお!」と思いながら勢いで課金することはあっても、過去の本の電子書籍を買う時に「くそおおお!」とは多分ならないから。買う理由は「もう一度読みたい」なので、多くの場合は一部のコレクターや熱心なファン、でしょうか。であれば基本無料で楽しめる枠を作った分だけ市場としては減少してしまうように思えてしまってならない。

そしてみんなが同じコンテンツの出所にお金を払う世界に戻るのか

しかしすごく可能性を感じるのは、一年後、二年後にコンテンツの供給元が巨大なコミックサイトのようなものに集約されていった時「少しお金を払うだけで全部手に入るなら払ってもいいや」となり得るところです。1万人が月に1万円払う(=1億円)ではなく、100万人が月に100円払う、と言うような。みんなが当然使っているようなモノであるのなら。

例えばかつてはどこの世帯でも「新聞」を取っていたわけじゃないですか。それって「情報がそこにしか無かったから」「当然みんな何か読むよねと言う空気」とか、いくつも理由があった気がします。ところで新聞のデータ、以下を見たらまだユーザいっぱいいるんですね。。驚いた。

マンガやゲームは別に「必需品」ではないですが、いずれもその文化が誕生して以来ユーザ数はさほど減っていないのではないでしょうか。ゲームに至ってはスマホやDSが普及して拡大している気すらします。少なくともいま30才の自分からすると、トータルの人口は周囲を見渡しても減っているような気はしません。

「ニュース」の価値が今のようにみんな「ネットで見れればいいや」となった背景には「みんなその程度しか望んでなかった」のか、「その程度で満足するようになってしまった」のか、他にも理由がいっぱいある気はしますけど、作るコストと「程度」が相関するものな気がします。一方エンターテイメントコンテンツと言うものはお金を出す出さない選ぶ選ばないと言うのは、基本的には程度問題ではないんじゃないでしょうか。「タダだけどそこそこ面白いコンテンツ」には多分惹き付けられなくて(無料のエンターテイメントコンテンツなんて無数にあるのに)、みんなコミックでわざわざOne Piece進撃の巨人も買っちゃうわけだし映画も見に行くわけじゃないですか。それは「有料だけど超面白いコンテンツ」が選ばれている一つの証拠だと思います。


結局何が言いたいかと言うと「圧倒的に面白いコンテンツを提供し続けると言うなら、その媒体にお金は払われるだろう」と言うことだけです。コミックとか絵とか、エンターテイメントコンテンツは多分誰かが簡単に代替可能なものではないような気がする。例えば1000タイトルのマンガが月額1000円で(100円で?10000円で?)家族でみんな読み放題なんです!これだけあればみんなたのしめます!!と言うようになるなら、払うんじゃないですかね。個別のマンガに対する課金とかでは無くて、Huluみたいな感じで。例えばワンピースとか初版で400万部とか売ってるってことはそれだけ捌けるわけじゃないですか。ワンピと進撃の巨人も含めて月額1000円で新しいもの出たら全部読めるんです!だったら1000万世帯が月に1000円(=100億円)払う、って十分あるような気がする(今の業界の売上規模とコスト構造分かんないからこんな規模でいいのかは不明だけど)。


繰り返しますがコミックウォーカーはやっぱ現時点で圧倒的にイケてると思うのは、量が色んなものを癒してくれると思うからです。これだけあれば多くの人の「お金払ってもいいかなライン」を超えられる可能性がある気がする。そしてガンダムエヴァもカラーで読めるってこれはほんとすごいことだよなー。今後も楽しみでしょうがないのです。

ゲームとマンガと言う自分自身の二大趣味がいよいよ無料の世界になってきて、エンターテイメントを享受する側としてはすごく楽しいです。せっかくだからそれらの良い未来に関わっていくような仕事をしていきたいなぁ、と改めて思うのでした。まる。

まどマギを今まで見たことなかった希望と絶望と自業自得

予定の無い日曜だし、どこか出掛けるか家で映画かアニメ見ようと思ってて、昨日また兄に勧められた「まどか☆マギカ」を一気に見ました。DVD6枚、大体4〜5時間くらい。

なんで今まで見てなかったんだ…

何年も前からおもしろいおもしろいと言われていたしいつか見ようとと思ってたんですけど。前評判を聞いていてもなお期待を裏切らない展開で「何で今まで見てなかったんだ…」と言う感じです。ストーリーの展開も音楽もすごく良い。魔女のシーンの描き方とかは何とも言えない不気味さが出ててゾワゾワします。

解説はwikipediaがかなり詳しいのでこちらを参照。はてブもいっぱい付いてますしこの記事自体かなり洗練されてますね。

希望と絶望と自業自得

あれだけ話題になったので多分もう、ありとあらゆる角度から世の中では分析されているとは思います。個人的に一番すごいなーと思ったのは希望と絶望の描き方です。

鋼の錬金術師とかと同じ「等価交換」の概念と言うか、何か希望を持つとその分の絶望が世界に増えると言う。キャラ的に好きなのは佐倉杏子で、第7話の以下の辺りの台詞とか印象的でした。

「奇跡ってのはタダじゃないんだ。希望を祈れば、それと同じ分だけの絶望が撒き散らされる。そうやって差し引きをゼロにして、世の中のバランスは成り立ってるんだよ。」
「アンタも開き直って好き勝手にやればいい。自業自得の人生をさ。」
          ーー佐倉杏子 まどか☆マギカ 第7話より

軽い口調で言ってるんですけど全然軽く無い話で。これって他人に希望を持つこと(=期待すること)の戒めと言うか、絶望から自分の精神を守る術の話です。このブログで書いた話で言うと以下が近いです。

他人のために魔法を使わないと言うのは恐らくこの世界において自分を守れる最高の方法であるはず。自分に対してのみの魔法や希望であればどれだけ希望が打ち砕かれようともそれは自己責任の範囲内で、納得ができるはずなんですよね。であれば世界を呪いながら絶望することは多分、そんなに無くて。そう言う意味で「自業自得の人生」ってすごく良い表現だなーって思うんです。たとえ他人に期待して希望を持ったとしても、それを自業自得だと心の底から思っていれば何も呪わなくていい(日常生活で言うと「怒らなくていい」でしょうか)とすれば、それってすごく健康的な生き方だし、世界は平和になるもの。

例えば第3話のマミさんの台詞でこういうのがあります。

「あなたは彼に夢を叶えてほしいの?それとも彼の夢を叶えた恩人になりたいの?」
          ーー巴マミ まどか☆マギカ 第3話より

どちらが良い悪いではなく。この問いに対する答えを自分で確固たるものとして持つと言うことが、自業自得の人生を生きるということなのだと思ってます。悲しみは世界から消えないと思うものの、怒りは消せるとやはり思うのですよね。そういう生き方がしたい。


それでもキュゥべえの言う「熱力学の第二法則を超える」と言うことが、希望と絶望は等量で保存されるのではなく、持てる希望が絶望の量を超え得ると言うことをも意味しているのだとすると、このまどマギの話自体、救いがあるストーリーだよなぁと思ったのでした。

このアニメ、流行ってた時に見たらすっごくハマってたような気がするなぁ。見たのが時期を外した今で良かったのかもしれない。これも自業自得、と言うことですね。とりあえず映画版も借りて、近々もう一周見ようかなと思ってます。まる。

無限に連鎖するソーシャルゲームプレイ地獄からの脱出

やめるやめると言いながら全然ゲームをやめていない僕なんですが、結局ケータイでゲームをやってしまう人がどういう感じでゲームを連鎖させてしまうかと、それによって自分に起きてるなーと思う実害を改めて書いておきます。おそろしい。

プレイ時間制限と複数アプリ

これだけゲームが大量に出ている世の中ですから、遊ぶゲームには事欠かないわけです。無料であれ有料であれ。ここ一年くらいで僕がハマって10時間以上プレイしたであろうものはこんな感じです。

有名どころばっかりですね。流行りは知っておきたいと思ってまして。ゲームの詳細は省きますが、どれも凄く面白くてゲームとしてよく出来てます。ソーシャルゲームらしい(?)さくっと数分(数十秒)で1プレイ楽しめるので時と場所を選ばず、もう一回やりたくなる仕組みが完成されている感じ。その仕組み(ゲーミフィケーション)については今更語るまでもないです。

なぜ無限連鎖が起こるのか

こういうゲームには連続プレイ制限がかかるのが普通なのです。例えばパズドラだとライフが1回復するのに10分かかるので、都合数時間に1回しかプレイ出来ません。その他のゲームも全部同じです。連続プレイは制限されていて、もっと連続しようと思えばお金がかかる。これは以下の記事にも書きました。

複数のソシャゲで遊んでるとどういうことが出来るかと言うと、全部連続して遊ぶとほぼずっと遊べてしまうと言う話です(実際5つじゃ無限には無理ですが)。1つ目のゲームで10分、2つ目のゲームで10分…と進むと6本あれば都合1時間遊べるわけですね。で、基本的にプレイ後に待たされるはずのものが、1つ目のゲーム終わって50分くらい経ってれば下手すると1つ目のゲームは「もう1回」遊べてしまうわけです。で、それが終わったら2つ目も出来るようになっている…みたいな…。これは恐ろしいことですよ…。

つまり多分20, 30個あればずっと遊び続けられると思います。ライフの制限から解放されて!と言う錯覚。すげーずっと遊べる! でもその解放感、自分で作った縛りから解放されてるだけなのに…!!。

携帯であることがおそろしい

携帯ゲーム機じゃなくてケータイでゲームが出来ると言うこと。「そりゃ業界的にはプレイ人口増えていいよねー」くらいにしか思ってませんでしたが、本当の意味ですごかったのは「いつでもどこでも、例えば信号待ちの1, 2分でも、会議中の妙な間の30秒でも、トイレに入った数分間でも出来る」と言うことだったのだと思います。プラスに考えれば「今まで死んでいた細切れの時間が全て生きた!」、マイナスに考えれば「細々とあった思考の時間が全てゲームに盗られた!」となると思います。上に書いたように連続してプレイ出来てしまうようなゲームですから、この無限ループから抜け出さないと一生隙間時間を全て献上することになり、気付けばトータルで数千時間使っていたなんてことになりかねない気がします。

思考の糸が切れることがソーシャルゲームアプリの一番の害だと思う

上に書いたように、隙間の時間を奪われるってことは人間の中で何が起きているか、僕は「思考が途切れて時間の質が下がっている」と思ってます。こういうゲームやったことある人なら経験あると思うんですが、時間がちょっと空くと「ライフ回復したかな」とか思って開いちゃうわけですよ。「メタドラ出てないかな」とか(※パズドラです)。これは気がほんの少し逸れたタイミングでやってくる。その時まで何をしていたかに限らず、です。

人間と言うのは弱い生き物だなーと思うんですよ。特に自分がどちらかと言うとやりたくない、モチベーションが高くないことをやっている時、何か逃げ先があるとついそちらに逃げてしまう。そういう意味で「ケータイでゲームが出来る」と言うのが恐ろしいことだ、と思っています。いつでもどんな時でも逃げ場がある(←言葉にすると何か素敵な気がしますな)。でも一度そちらに逃げると戻って来るのにまた時間がかかりますから。仕事してても何も逃げ先が無ければ、思考は続けざるを得ないはず。こういうこと言ってる人はなんだかんだで逃げ先を用意しそうなもんですけどね。

毎度ソーシャルゲームやりまくっては自己否定する僕が言いたいこととしては、「ゲームはほどほどに」と言うことだけです。ソーシャルゲームと言うくくりで語られていたスマホのゲーム達、特にネイティブアプリになってからはそのクオリティはもはや今までのコンシューマゲームとさほど違いは無い気がします。プラットフォームが変わってもゲームは進化し続けていくものですね。それ自体はファンとしてとても嬉しいです。僕自身ゲームは一番の趣味だしこれからも続けますが、やっぱほどほどにしないと上のような「逃げ」ばっかりになるよなーと思うので、今年は少し控え目にしたいと決意を新たにするのでありました。まる。(←決意を新たにすることほど無意味なことは無い)

ソーシャルゲーム関連記事はこちら

ちなみに辞めたい人は一番上の記事がおすすめです。経験から言うと「アプリを消す」しかないと思います。人間なんて弱いですから。今日からもうゲームやらない!とか思っても「ログインボーナスの魔法石だけ…クリスタルだけ…」とか思ってついやってしまうものなのですよね。

クイズRPG 魔法使いと黒猫のウィズ

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Candy Crush Saga

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