地球は元々、狩りも採集もせずに生きていける場所ではないと思う

昔からニートや引きこもりについて考える時、どうしても思い浮かんでしまうのがこれです。以下のエントリのブコメに書きました。

結構過激な言葉づかいで書いてあるので、そういうの嫌いな人は読まない方がいいと思います。このエントリの露悪的過ぎる書き方や「ここまで言わなくても」と言う心情はさておき、問題の一つの側面は捉えられている気がします。たとえ記事自体がビジネスのタネだったとしても。

生きるために必要なもの

人間だって生物ですから、何か食べないと生きてはいけません。だから大昔から狩りをするとか、漁をするとか、木の実や果実・草を採集するとかして、他の命をもらって生きて来たわけです。それを効率化するため、群れで狩りをしたり何かを栽培したり、物々交換等の経済の仕組みを作ったりしながら進化して来たのですよね。だから今の僕も自分で狩りをしたりお米を作ったりはしていませんが、代わりに会社と言うところでPCに向かってキーボード叩いてたらもらえる「お金」と言うものを使うことで、なぜか肉や米が手に入ってしまいます。ただ人類はそうやって、自分で狩りや採集をしなくても生きていけるような社会を作って来たわけで、そのおかげで全ての人がマンモスと戦わなくてもお肉が食べられるし、おいしいご飯も食べられているわけです。だから、今の時代においてはむしろその色んな仕事が狩猟や採集とむしろ等価であると言うことが出来るのだと。

小さな子ども

人間ほど、か弱い子どもの期間が長い生き物も無いと思います。それは人間の置かれている社会環境・自然環境も含めての話です。基本的に他の動物は生まれてしばらくすると自立して生きなければ生きていけないので、本能レベルで狩猟するしか無いようになっているし、そういう環境でずっと生きています。でも人間って小さな子どもの間、何なら高校生くらいの年になるまで基本的には「一人では生きていけない」と言う環境にいます。例えば普通は学校にも行かないといけないし、仕事も無いと思うので。他の動物からすると「おいおいどんだけ人間は自立してない期間長いんだよプゲラ」みたいな感じに思われてるのかもしれません。

家族と言う枠組み

なぜ小さな子どもが狩りも採集もせずに生きていられるのか。典型的にはそれは家族のおかげですよね。自分が過ごすあったかい寝る場所も、着る物も、お腹を満たせるご飯も、家に帰ればあるわけです。それは子どもは家族に守られながら得ているわけで。良い悪いではなくて人間社会はいまそうなっています。

ただ忘れてはいけないのはそれはあくまでその家族がいるから成り立っているだけ、と言うところで。家族がいなければ自分の代わりに狩りも採集もしてくれる人(=仕事をしてくれる人、お金を稼ぐ人)がいないわけで、もし倉庫に溜め込んである食料(=お金)が無くなったら自分で狩りか採集(=仕事)をするしかないのは明白です。

だから人間はどうしても自分の手で狩猟か採集を行うか、一生過ごせる蓄えを備えるしかない

病気だったり怪我だったり、やむを得ない事情で狩りも採集も出来ないと言うことは、確かにあると思います。色んな家族や環境があると思うし、そりゃ色んなこともあるとは思います。でもそういう話をし始めるとどこからどこまでが「働きたいけど働けない人」なのかと言う定義の問題になって来ますし、それは彼/彼女の周りも含めて「じゃあどうやって狩りをしていけばいいんだっけ。蓄えていけばいいんだっけ。」を考えるしかない話なので。

それでもね、やはり基本的に人間は自分で狩るか、採るかしないと生きてはいけないはずなんです。だって食べないと生きていけないんですもの。それはどんな動物だってそうだし、人類が生まれてからずっとそうです。食べたければ獲れと。自分で獲れないのなら、頭を使って口に物が入るような仕組みを獲得せよと。そういう意味で家族と言う枠組みを使って生きるのは別におかしな話ではありません。

でも、例えばニートと言う存在は、半分は自分自身だと思いますが半分は家族に起因しているはずです。「あなたはそのままでいいのよ」なんてことは、一生かかっても食べ切れないだけの蓄えを用意してくれている家でなければ基本的にはあり得なくて。だから「そのままでいい」なんてことを言う、あるいは何もしない状態をずっと見過ごすなんてことは、そこまで無責任に出来ることでは本来無いはずなんです。


だからこそ、自分の子どもには何があっても自分の手で狩りや採集を出来る人間になってほしい。そういう知恵を身に付けて、そういう自然の摂理を理解して生きて欲しいと思う。その上でより自分自身が幸せと思える環境で、好きな狩猟の方法や採集の仕方を見つけて行って欲しい。それがきっと幸せな人生だろうなと。

…と言うようなことを、子どもが生まれたら色々話したいなぁ、、と、子どもどころか結婚すらしていない僕は思うのでありました。まる。