ゲーマーが見つけるリアルの中のゲーム(ルールを変える思考法 - 川上量生)

ドワンゴの川上社長の本、とても面白かったです。もはや文化となりそこに宗教性すら帯びているニコニコ動画の生みの親。思ったよりずっとゲーマーで、思ったよりずっと頭が良くて、思ったよりずっとまっすぐでかっこよかった。「ゲーマー」だけど別にゲームを擁護するような話ではなくて、ゲームを例にとったビジネスについての考え方の話です。参考になるところが多過ぎてここに何を書けばいいか迷いますが、いくつか印象的だったところを書いておきます。

コンテンツとは、わかりそうで、わからないもの

最近コンテンツビジネスについて考えることが多かったのですが、「コンテンツ」と「サービス」の違いがうまく言葉に出来なくて。この表現はひとつなるほどなと思いました。この場合は「芸術」と言ってもいいのかもしれない。わかりそうで、でもわからないから何かしらもやっとした感情が人の心に湧き起って、それがコンテンツとしての価値になっていく。その感情の生まれるものこそがコンテンツであると。確かに名作と呼ばれるようなものは何かしらの感動が多くの人に伝わっているような気がします。

覚悟があるかどうかが、格好よさの尺度になる

かっこいい、と言うのは一つの価値を表現する言葉なので、人によっては他の言葉になるでしょう。覚悟と言う評価の基準はとても自分の中でしっくりきました。仕事に関して信頼出来る人、と言うのは結局のところこれなのかもしれないなあ。成功させる覚悟、責任を取る覚悟、やり切る覚悟、怒られる覚悟… 「コミットする」と言う言葉を仕事でよく使いますが、同じようなことですね。覚悟を持って仕事をしている人はやっぱりかっこいいし、そういう人と仕事がしたい。

ゲームを好きではない人が、ゲーム会社にいるべきではない

これを生粋のゲーマーの、この人が言うとまた色んな意味がありますね。自分がソーシャルゲームに感じていた違和感はこれなのかもしれない。ただの作業として達成感のみをひたすら「げーみふぃけーしょん」として追い求めさせられ続ける「げーむ」と呼ばれるものは、恐らくゲームが好きでしょうがない人には決して作ることは出来ないものなのだと思います。ゲームが好きじゃない人が作っている、でもゲームと呼ばれる何かになっている、それが自分が嫌だったことの元凶だったのかもと感じました。


ホリエモンにせよ、川上さんにせよ、それ以外の「すごく流行る」サービスを作る人達のすごさって何なんだろうか。上に書いたような「覚悟」とか、「どこまでもそれを信じている」とか、「すごく楽しんでいる」とか、そういうのなのかな。うまく言えないんだけどそういう人たちの話や書く文章は、それだけで力があって輝いて見えるのは確かで。

今日とかもそうなんですが、会社で仕事しているとたまに自分や、自分の取り組んでいる仕事がものすごく小さく思えたり、愚かに思えることがあるのですよね。そういう時って例外なく「自分の自信が揺らいでる時」で。出来ることならずっと自信を持って、そして覚悟を持って楽しみながら自分と自分の仕事を信じて生きていきたい。そういうのを体現出来ているこういう人たちの本を読むのはそれだけで活力になって意味があるなと、改めて思ったのでした。いいなー、こういう人と働きたい。

「つまり、企画を信じるのではなく、その企画をやりたいと言っている人間を信じて、一緒にやるかどうかを決めるしかないようなことなのです。」 - P.204