英語を話し始める勇気と恥の文化 ES#032

先週、昔の部署の先輩から「今度海外赴任する子がいるんだけど、まんとる君のゼロからの英語勉強法教えてあげてくれない?」と言う連絡があって、少し会ってきました。人に教えられることなんて何も無いんですが、、と思いつつ「まんとるぽっとのenglishタグが付いた30記事読んどいて下さい」と言っておきました。

最近ブログに書いてませんが、実は英会話はまだ粛々と続いていて、英語の勉強もずっとやってるし外国人の友達とも遊んでます。都合1年半かなぁ。「何も話せない」と言う壁を越えられた点だけは先輩だと思うので、そのことを書いておきます。

一にも二にも、勇気だ

根性論じゃないんですが、事実として。

  • 英語はそもそも得意じゃないし好きでもない
  • 理系の知識とか学問、技術は結構好き
  • でも人と話すこと自体は嫌いじゃない

まぁ、僕のことなんですけど。例えばずっと学生の頃から理系で生きて来てそのままそっち方面の会社に入った人とかには割と多いプロファイルのような気がしています。そういう人にとって特に伝えたいのがやはり「勇気」について。勇気があれば日常生活や、ビジネスパートナーと英語でやり取りするくらいの英語は身に付く気がします(相手とコミュニケーションする時に、仕事で必要な知識は既に持っているので。)

海外の人は勇気があるし、あんまり恥ずかしがらない

海外に行っても母国語じゃないから英語上手く無い人はいっぱいいるし、恥ずかしそうに自信無さげに喋る人はいます。でも例えば中国とか韓国の人がすごいなーと思うのは「少し間違っててもガンガン来る」と言う点です。そういうのをもっと見習うべきだなと。出来れば正しい言葉を使いたいのはみんな一緒です。でもそれに固執して「そもそも喋らない」のは本末転倒です。何も伝わらないですから。

これは一緒に仕事してるアメリカの人に言われたことですが「何も話さないよりは間違ってても話してくれた方が訂正しようもあるし、少しは分かるよね」と。そりゃそうだ!日本人の奥ゆかしさと言うか、人目を気にする性質、国民性とでも言うんでしょうか。「人と違ったこと(間違ってると思われるようなこと)すると、なんか恥ずかしい」と言う意識がある気がします。いわゆる「恥の文化」ですね。自分も中学校高校の英語の授業なんてほんとそうだったし、「間違ったこと言ったらどうしよう」「なんか(下手な)英語で喋ってるとこ友達に聞かれるのがそもそも恥ずかしい」みたいな意識がすごく強かったのを覚えてます。

そういう謎の同調圧力ってほんといらないんです。自分の子どもが出来たら多分無理にでも英語で話して恥ずかしさ克服してもらうと思います。「むしろ何も話さないことの方が恥ずかしいわ!」ってことを知って欲しい。友達に笑われたとしても、大人になって英語もろくに喋れない大人になる方がずっと恥ずかしいですから。(子どもにそのまま言っても納得しないだろうな…)

まずは30分くらいお話ししましょう

実際、今回会った彼も恥ずかしがってたものの、いざ話し始めたら全然普通に話せてました。まぁ、そんなもんですよね。きっとそういう人は後は大丈夫な気がします。

英語の勉強始めたいけど始められない、話してみることが出来ない人は、誰でもいいから捕まえて30分くらい話してみるといいんじゃないでしょうか。そしたら「英語とか言うと何か特殊な気がしてたけど、これって実はただ"話してる"だけじゃね?」って気付けると思います。日常会話するのに恥ずかしい人ってあんまりいないと思いますから。

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年明けに、アメリカの真ん中から東の方に行ってきます。一度行ってみたかったからたのしみ!向こうの秋葉原みたいなスポットを見つけて向こうのオタクと仲良くなりたい…

萌える英単語もえたん

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